刀掛岩 (岩内町)

刀掛岩(岩内町) 油絵 A4号 横333x縦242  2021年10月制作

水上勉の「飢餓海峡」は、昭和29年(1954)9月の台風15号による岩内大火と青函連絡船洞爺丸の遭難を、敗戦直後の22年に移しかえ、そこに孤愁を背負って歩む一人の男を投入して人間の「飢餓」を描いた物語でした。
水上は昭和36年9月に臼井吉見、柴田錬三郎とともに文芸春秋の講演会で岩内町に来ました。

『巨岩怪石が波に洗われる雷電海岸に立った時の戦慄が動機となって』
 一篇のドラマが生まれた、と述懐しています。

「晴れた日は、町の背後にひろがる段丘の向こうに羊蹄山が扇面を伏せたようにかすんでみえる。羊蹄山から右へ、海岸に至るまでは、左からワイスホルン、イワオヌプリ、岩幌岳、目国内岳、雷電山などの、千メートルを超える高山が波状をなして、ニセコ連峰のギザギザとなって空を圧していた。切りたった火山壁が岩幌湾に落下するあたりは、巨大な雷電の墨壁が示しているように、風蝕した自然石の荒々しい協立と、灰いろの波濤が噛みくだく奇石怪石の連続であった。風光は雄大で美しい。積丹と雷電の岩にはさまれて抱きかかえられたような内ふところのさびれた町である」 
     警官が犯人を追って雷電の山ふところにある朝日温泉に向かう場面。

北海道の海岸線は源義経伝説だらけで、ここも例外ではありません。
「義経雷電越え」がそれであり、雷電岬の突端の刀掛岩も弁慶にちなみます。
昭和38年に雷電トンネルが開通し、国道229号で寿都町方面への通過は容易になりました。